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1・318~351 二人の従者、アキレウスの所へ

318:もう争わないと態度を表明したアキレウスに対して、アガメムノーンは184行目で言った脅しを実行に移すべく二人の従者を差し向ける。多くの人前で言い放ってしまったことだけに、ここまでくるとアキレウスの鼻っ柱を徹底的につぶし、自分の威厳を保つことしか考えていないのだろう。これが人間の判断力を失わせるアーテー(迷妄)の恐ろしさだ。(19書88行以降参照)

327:二人の部下たちは不本意ながらもアガメムノーンの命令により、アキレウスの陣屋へと向かう。aekonte(不本意ながら)であったのは何故か。331行目で彼らはアキレウスを前に声もかけられず、ただアガメムノーン王を畏れて佇んでいたところから、別段アキレウスの怒りを恐れていたわけではないようだ。二人は主人アガメムノーンを尊敬しつつも、アキレウスに同情を寄せていた。「thina alos atrugetoio(荒涼とした海の渚)」という風景の描写は、そこを行く彼らの心境を、そして同時にその同じ渚に座り込んでいるアキレウスの心境にも繋がる。

333:渚に腰を下ろしていたアキレウス。さぞかし憤怒に身を震わせていたところだったろうが、やって来た二人は自分に対し、初めて同情の素振りを見せた人物だった。彼らの自分への同情と、不本意な命に従わねばならない立場であるのを察して、彼らに対し哀れみをもよおす。権力者の横暴は許せなくとも、弱者に対しては優しい気持ちで接するアキレウスの人柄が顕れている、と良く解したいものだが、普通、自分の心中を理解してくれた人間を憎めはしないだろう。さらにアキレウスは、この二人を自分の味方につけようとするかのような口ぶりで話しかける。

338:二人の使者にアキレウスは証人になってくれと言う。アキレウスは自分の正しさを確信している。いかにも彼はアガメムノーンと違って先のことを見通したような言葉を話す。だが非常に論理的なことを喋ってはいても、実は決して気が静まったわけではない。証人にもなって欲しい二人の前であるがゆえ、かなり感情を抑えていたのは、352行以降の涙の訴えの通りである。

347:二人の使者が去る方向、「para neeas Achaioun(アカイア人らの船々の方へ)」という言い方が気になる。彼らがアキレウスに出会ったのは、ミュルミドーンの陣屋の脇であり、船も置いてある場所である。軍で一番の勇者アキレウスと、二番目の大アイアースが、アカイア軍を守るように両翼端に陣取っていたと8書225行にあるので、中央に位置する総帥アガメムノーンの陣屋からアキレウスの陣屋は一番遠かったろうが、この場所もアカイア軍の一部であった筈だ。しかし先刻、アキレウスはアガメムノーンの指揮下から離れることを宣言した。彼の陣屋付近は今やアカイア軍ではないと言わんばかりの言い回しだ。
前置詞 paraは「~に沿って」という意味もあるので、「浜辺に並べて置かれるアカイアの船々に沿って、二人は戻って行った」と解釈した方が、素直かも知れない。

348:アキレウスの元から連れ出されるブリーセーイスのこの場の胸中は、aekous(心ならずも)という一語でしか語られない。アキレウスとブリーセーイスは、このイーリアスで一度も面と向かって語り合う場面がない。アキレウスにとって一番大切な人物をパトロクロスたった一人に集約するそのために、ブリーセーイスとの直接的な接触が避けられている。これによりパトロクロスを失うアキレウスの悲しみは、ブリーセーイスを失うこの時よりも烈しいものに理解される。

351:アキレウスは母であるテティス神に祈る。彼らは母子であって一方、死すべき人間と不死なる神との間柄である。アポローンの神官クリューセースが己の苦悩をアポローン神に訴えたように、まさにそのようにアキレウスが一番身近な母神テティスに祈るのは、至極当たり前のことである。違いと言えば、通常その願いを聞き届けるか否かは、願い出た人間のその神へのこれまでの貢献度によるものであるが、アキレウスは勿論、母親であるテティス神には無条件で受諾されるだろう。また神に祈る時は、神の居る方向に手をさしのべて祈る。アキレウスはテティスへ祈るので、海原に手を差し伸べた。

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1・304~317 クリューセーイス返還隊の出発

307:集まりは解散し、アキレウスは自分の陣屋に戻るが、その際、自分の部下たちとパトロクロスを連れて戻った。会議では杓杖をもつ者しか発言権は無いものの、パトロクロスや、全員ではないだろうがミュルミドーンたちもその場に出席していた。集会場は葬礼競技ができるほどの面積を持つ広場で、今の会議もどうかすると数百人の兵士たちの見守る中で開かれたらしい。これでは侮辱を受けるのも公衆の面前同然だ。アガメムノーンもアキレウスも必死になるはずである。

308:クリューセーイス返還の一団が編成される。帆柱を持つ船に乗ったのは当のクリューセーイス、指揮官のオデュッセウス、二十人の漕ぎ手、そして犠牲の牛たち。これらからして、遠征時に乗ってきた大型の船とは違い、櫂を二十本備えた船足の速い軽走船(東京書籍出版「ギリシア軍の歴史」参考)と思われる。ヘカトンベー(百牛の大贄)はもはや正式な儀式の称としてのもので、本当に百頭用意したわけではないかもしれない。

317:神は天上にいる。神に犠牲を捧げる時は肉を焼き、その煙と香りが空に向かって立ち上らせることで神に届くとされた。焼き残った肉は人間たちで食べる。

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1・247~303 幕僚会議(9)雄弁なる老王ネストール

247:第一書からネストールを軍中の仲裁役・相談役として印象付ける箇所である。彼は紹介のとおり誰より年嵩が上であり、饒舌である。彼の得意とする説得力は「イーリアス」のストーリーの転換部分で非常に重要な役割を担う。

250:行頭のtowi(指示代名詞男性単数与格)は、「彼の目(立場)から見れば」のような判断者・観察者の与格と解する。

251:trafen「育って」、gignomai「生まれた」とは順番が逆のように感じるが、レトリックの一つで後のものが先に来る”プロテロン ヒュステロン”である。また、「一世代目が育って二世代目が生まれた」という考え方もあるらしい。

254「大きな憂いがアカイアの地へとやって来た」とネストールは言った。ここはトロイア国であるが、アカイア軍が陣取ったところはアカイアであるという認識のようだ。訂正します。これは「アカイアの地」という言い方で、アキレウスとアガメムノーンの諍い=アカイア国の内紛と捉えており、大変なことになった、と言っているわけである。

257:動詞puthoiato「~を聞く」は、属格のsfowinとmarnamenoiinをとって「あなた方両人が争うのを聞いたら」とするが、直接目的語としてtade panta「これら全てのことを」もとる。聞いた相手・人を属格で表し、聞いた内容・事柄を対格で表す。

271:oxfordのテキストだと、否定辞ouがどこにかかるのか読みにくい。272行のmacheoitoにかけるしか読みようが無い。Willcockのテキストでは272行の一語目townの直後と、epicthonioiの直後にそれぞれカンマが振ってあり、あらかじめmacheoitoが関係代名詞hoi以下の文と切り離されてあり、そのように読むのが容易になっている。(pharrのテキストも同様)

275:ここでネストールによって述べられた、アキレウス、アガメムノーン両人の役割と評価というものが、一番明確で実質的あろう。アカイア軍にとって両人とも不可欠な存在のため、ネストールの勧めどおり争いを避けるのが賢明であった。このように物語内では度々、最悪の事態を回避する策が提示されるにも拘らず、それは避けられないものであるかのように無視される。歯がゆくも思うが、それがまさにドラマを生む。今に至る基本的なフィクション小説の手法が既にここにある。

292:アキレウスはアガメムノーンの話を遮って発言する。291行までのアガメムノーンの言葉がアキレウスへの中傷に終始しているのに対し、アキレウスは今後の自らの態度を明らかにした。

298:アテーナーの忠告もあるので、誰とも争わないことをアキレウスは明らかにするが、それはブリーセーイスに関してだけで、その他の品について侵害する者は容赦しないと言いわたす。ブリーセーイスを奪われる以外の、これ以上の侮辱は阻止する構えである。

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