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2・142~210 集会(2)オデュッセウス、人々を説得する

143:hosoi(多くの人々)は男性複数主格であるが、直前の女性名詞pleethun(群衆)の説明をしている。群衆とは人々の集まりなので、男性形で良いわけである。

169:ヘーレーに人々を引き止めるよう言い付けられたアテーナーが起こした行動は、アカイア軍で一番発言力・説得力のある人物オデュッセウスを使ってその命令を果たすことであった。知恵の女神から生まれたアテーナーが、知恵者のオデュッセウスをひいきにしていたせいもあるだろう。それにしても75行目でアガメムノーンがereetuein(引き止めるように)と、閣僚たちに頼んでおいたにもかかわらず、この段階で引き止めは行われていない。注釈書ではどうも、オデュッセウスは先の長老会議に出席したとして、智謀のオデュッセウスですら衝撃を受けてこれほどの体たらくだったのだから、他のメンバーはさもあろうという解釈のようだ。この後オデュッセウス・ネストールの有能な補佐がカバーしたお陰で、結果的にその目的は遂げられたものの、しかし危うくこれはアガメムノーンの作戦ミスに終わるところであった。この一時的に思惑はずれに向かうかに思えるシーンも、実は聴衆を惹きつける詩人の腕の見せ所だったのであろうか。

182:アテーナーの命令に応じ、行動を起こす象徴としてオデュッセウスは上着を脱ぎ捨てた。170行目で気落ちして佇んでいた(estaota)ところから、一挙に意欲に満ちたあざやかな転換となる。

188:オデュッセウスのこの、相手の身分によって全然違う態度は、古代ギリシア人たちの価値観が反映されているためである。この時代の人々は、優れた者は他に超えて善く、アリストイ(貴族たち)が庶民に劣る部分はない、と考えている。身分によって人物の風体イメージも大きく左右され、身分が高い=立派な体格=美しい=善い、と見た目が内面を象徴するように描かれているから、イーリアスに登場する英雄たちはまるで大男ぞろいで、中肉中背のヤツなんかいないということになってしまっている。現代からしたら不自然な気がするだろうが、これがイーリアス世界を創造する古代ギリシア人の美意識なのだ。そこを理解していないと、ここでのオデュッセウスを誤解しかねない。身分の違いはこの世界では決定的で、これほど扱いが違う。第22書477行以降のアンドロマケーのセリフに、ヘクトールという父親の後ろ盾をなくした我が子アステュアナクスの行く末を案じたものがある。身分が変わるとここまで冷遇を受ける。

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