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2・211~277 集会(3)非難するテルシーテース

216:aischistos aneer「もっとも醜悪な(者である)」、hupo Ilion eelthe「イーリオスの元にやって来た(者のうち)」、関係代名詞を使わず、二句をdeでつなぐだけという古典ギリシア語の合理性がみえる。ちなみに現代ギリシア語訳「イーリアス」のこの箇所は、文頭にbe動詞がきて、従属部分にちゃんと関係代名詞がつけられていた。それにしてもテルシーテースは徹底的に良いところなしに描かれている。一種の悪役に近い役回りであろうが、それでも後世、イーリアスには無かった立派な家系を授けられる辺り、庶民でありながら誰もが恐れる最高権力者に意見を述べたという行為が、時代の流れによって聴衆に受け入れられたのだろう。

225:人々を引き止めたのはオデュッセウスだが、テルシーテースはアガメムノーンが引止めを支持したとして非難を述べる。はじめに帰還を促したのはアガメムノーンではあるが、オデュッセウスに発言を許す笏杖を渡したところから、オデュッセウスによる人々への呼びかけはアガメムノーンの意向であるとされている。テルシーテースは逃げないことが臆病だと言っているが、あまのじゃく的に総大将の意向に逆らうように人々を扇動するのが主旨である。

270:注釈書には、人々が悲しんでいた(achnumenoi)のは、帰還が取り止めになったからではないかとある。この語の解釈なしにこの行は訳せないが、説明を付ければ長くなるため、呉訳の「片腹痛く思いながら」は端的とは言いがたいものの、詩としての形を崩すことなくこの語を取り込んでいる邦訳であると言える。ただ、それではギリシア語原文と意味にズレが生じる。やはり原典を読む以外、イーリアスの内容を忠実に知るのは難しい。

272:人々はテルシーテースを嘲り、オデュッセウスを支持する。王を非難するということは、秩序を乱す悪いことであるという道徳観を示す箇所である。古代よりホメーロスが教科書として読まれてきたというのもこういうところが尊ばれたのだろう。

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