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3・121~244 塔からの物見

121:イーリスはヘレネーを呼び出し、彼女に故郷や家族への懐古を呼び覚ました。この呼び出しで明らかにされるのは、イーリオス内でのヘレネーの周囲の様子や、彼女に優しく接するプリアモス王の態度。そしてヘレネーの嘆きに満ちた心境である。神々の都合によって右にも左にも大きく運命を変えられる、神からすればまるで手駒の様な存在のヘレネーだが、それだけに彼女の故郷を懐かしく思う心や、いまだ血を分けた兄弟の死を知らないでいることが聴衆の哀れを誘ったであろう。

141:女性たちは慣例として、直接の関係でない男性らの面前に赴く時、ベールを被った。( Thomas D. Seymourのコメンタリー より)

146:hoi amfi Priamon(プリアモスを囲む人々)以下、hoiで示された人々がプリアモスと同じ対格になっているが、主格として解釈されると各注釈にある。( Walter Leaf , Allen Rogers Bennerのコメンタリー など参照)

159:トロイアの長老たちは密かにヘレネー返還の意見を口にしているが、プリアモスは164行目の言葉でもわかるように、それを望んではいない。ヘレネー返還案は賢人アンテーノールが7書347行ではっきりと提示し、パリスと対立するが、王であるプリアモスがパリスの意見を尊重したため却下される。これによりプリアモスの決定には、長老たちも逆らえないことは明らかである。また例によって、こういったうがった意見は無視される。

164:イーリアスではプリアモスが言うように、この戦争の責任はヘレネーには無いと考えられている。3書399行のヘレネーの台詞でも、ヘレネーがトロイアへ来たのはアプロディーテーの意向であることがほのめかされている。

172:女神と見まごうほどの美女ヘレネーだが、この謙虚な言葉から、詩人は彼女を決して憎むべき存在ではない、ただ悲運に翻弄されたかわいそうな女性と描いている。176行目は特に彼女の複雑な立場と心境を如実に表している。

207:最近はそれほどでもないとも聞くが、フィロクセニア(外国人歓待)の精神は、この時代から現代ギリシアまでギリシア人の中に連綿と受け継がれてきた。fila(親しい)、xenia(外国人)、つまり他国者を手厚くもてなし、帰りには土産も持たせて略奪による被害を防ぐ。お互いにそのようなもてなしを繰り返し同盟関係を深めるという、なかなか平和的な習慣である。戦争を始める以前、メネラーオスとオデュッセウスがアカイア軍の使節としてイーリオスを訪れた時、ヘレネー返還により戦争を回避したいと考えているアンテーノールは、まずはこの方策を取り、彼らを歓待した。その際、持たれたトロイエー人らの会議の中でパリスに買収されたアンティマコスの話が11書122および138行に出てくる。そういった経緯があるのにプリアモスがオデュッセウスを知らなかった問題を、 Thomas D. Seymourのコメンタリー では指摘している。

217:笏杖の役割は、会議の場などで発言を許される者であること(2書185行)、そして掟を守る象徴( 1書233行)である。話し手はその笏杖を、話の強調部分を聴衆にアピールするため振り回すのが普通らしい。しかしオデュッセウスは、このトロイア人たちの交渉の場でそのようにはしていない。220行目のfaiees(と思う)は二人称だが、主語は不明確であると Allen Rogers Bennerのコメンタリー にある。

222:epea nifadessin eoikota(雪に思えるような言葉)とはいかなるものなのか、どのコメントを参照しても今ひとつはっきりしない。ただこのように言葉を浴びせかけるオデュッセウスには誰も対抗できないというところから、それは非常に説得力をもつ言葉を彼が発したと解釈できる。

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