第5書 ディオメーデースの武勇譚

5・241~310 アイネイアース倒れる

253:254行目行頭の二語oude kataptwsseinから、否定辞が不定法にかかっているように見えるので、では253行のouもmachesthaiを否定しているのかと思ったが、LeafThomas D. Seymourの注釈や、各邦訳のニュアンスなどを見ると、どうもこの二つの否定辞はともにgennaionにかかっているようである。「こそこそ隠れて戦うことは、私にとって一族の特徴にはあらず、また尻込みすることもそうではないのだから」

300:ここと同じくprosthe de hoiで始まる箇所が315行にもある。hoiは人称代名詞三人称男性単数与格で、利益の与格としてどちらも「彼のために」と訳すものだが、300行ではパンダロス、315行ではアイネイアースを指す。(Walter Leaf、Allen Rogers Benner、Thomas D. Seymourの注釈参照)

304:各邦訳からすると、minは石のことを指して「それを」と言っている。

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5・166~240 アイネイアースとパンダロス

174:神へ両手を挙げるのは”祈り”の決まったポーズである。弓はこの時代はあまり正確でなかったため、神に祈ったようだ(Kirkの注釈書(Cambridge Univ)、Thomas D. Seymourの注釈参照)。

177:この文には条件節前文のみで、帰結節はない。(Cunliffeの辞書による)

192:「私が乗ることのできる馬や戦車はないのだ」 ke+希求法で可能性を表す(Thomas D. Seymourの注釈参照)。代名詞twnは、部分属格としてepibaieenがとる。

202:人称代名詞moi(一人称単数与格)は、「私のために、私にとって」という利害を表す与格の意味から、「どうか~下さい、どうぞ~」のようにも訳される。(「ギリシア語文法」田中美知太郎,松平千秋 (著)参照 )

203:andrwn eilomenwn は独立属格「人々が閉じ込められる時」(Willcockの注釈による)。パンダロスはイーリオスが包囲攻撃に遭い、籠城する予想をしている(Thomas D. Seymourの注釈参照)。

222:pedioioは所格としての属格というよりも、epistamenoi(技を心得る)の部分属格として解釈されるほうが望ましい。「平原における技量を心得る(トロースの馬)」(Thomas D. Seymourの注釈参照)

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5・84~165 矢を受けたディオメーデース戦線復帰

89:行頭のtonは、前行の関係代名詞hosで説明される87行目のeoikows(河に似た男=ディオメーデース)を指す。91行目のelthontaも同様である。

101:行頭towiは接続詞「それゆえ、従って」、towi d’ epiで「それ故に、その上に」となる。(Thomas D. Seymourの注釈による)

114:神への祈りの基本的な形式。(1書39行を参照)

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5・1~83 アカイア軍優勢

5:enaligkion(~に似ている)は、ディオメーデースのことである。「(ディオメーデースは)晩夏の星に似ていた」hos以下でさらにどのように彼が似ていたのか説明がなされる。

6:「とりわけオーケアノスに浸りつつ輝いて光っているように、彼は晩夏の星に似ていた」大くま座以外の星は、世界の果てオーケアノスの海から上ると思われていた(1書423行および18書487行参照)。

32:ouk an dee~で「~できないだろうか・~できないのか」など、要求や命令を表す。「トロイア軍とアカイア軍を戦うように放っておかない?」 3書52行目においてはヘクトールがパリスに「お前はメネラーオスを待ち受けないのか?」と、どちらも否定辞oukが使われているが、ギリシア語では割と良く、否定辞を強い肯定の意味として使う。従って「放っておいたらどうか?」「待ち受けたらどうなんだ?」と言いたいわけである。

63:archekakous「災いの始まりとなる」は船の形容詞である。その船でパリスはラケダイモーンへ行き、ヘレネー王妃を連れ帰った。

64:hoi te autoi「彼自身にとっても」はペレクロスを指す。(Thomas D. Seymourの注釈参照)

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