第1書 疫病および嗔恚

1・568~611 ヘーパイストスのとりなし

571:ゼウス・ヘーレー間が険悪となってしまったこの場面に、ヘーパイストス神を登場させることで雰囲気の緩和を図る。ヘーパイストスの歩く姿が、おどけた滑稽な様子として周囲に受け止められ、場の緊張がほぐれる。彼は素晴らしい物を造りだす技術を持ち、頼もしく、ヘーレーを慰めるこの描写からも人柄にも優れている。姿以外に欠点の見受けられない神である。

573「loigia erga tad’essetai(これは大変なことになる)」ヘーパイストスが危惧するとおり、最強の神ゼウスを本気で怒らせてしまうことは、全ての神々が恐れることである。神々の争いはギリシア神話世界に大いなる乱れをもたらす。彼らが饗宴を楽しむということは彼らにとっても、世界にとっても平穏を示している。

580:各注釈書にもありますが、ei per gar ke~以降、条件文前文だけで文章を中断することによって、言い表せない驚き・恐怖を出している。573行でヘーパイストスが危惧する最たるものこそ、この「ゼウスが(我々を)座から突き落とそうとしたら」である。

590:ヘーパイストスは以前にもヘーレーとゼウスの諍いにおいて、ヘーレーを救おうとし、ゼウスに遠くへと放り投げられている。同場面の記述が15書18行以降にある。

597:他の神々へとヘーパイストスは杯を注いでまわる。この時、左から右へと行く。幸運な方向「左から右へ」行く場面は、イーリアス内にもいくつか登場する。(7書184行、12書239行、24書319行など)

599:ヘーパイストスが神々の間にもたらしたこの笑い(gelows)は、ゼウスとヘーラーの争いの緊張から解放されたことを意味する。

603:この行の否定辞ouには前行の動詞edeuetoを補わなければならない。そしてmenは次行のtheに対応し、補ったedeueto(不足する)は素材として二つの属格formiggos(アポローンの竪琴)と、theでつなげられた604行のmousawn(ムーサイの声)をとる。竪琴とムーサイには、それぞれに関係代名詞の説明がついている。

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1・531~567 ヘーレーの憂慮

533:ゼウスが館に戻ると、諸神こぞってゼウスを出迎えに席を立った。諸神の席そしてゼウスの座った席というものは、オリュンポスで神々の酒宴や会議がよく執り行われる席である。Zeus de eon pros dowmaというところから、そこはゼウスの館の中にあるようだ。同じオリュンポス山でその付近に館を持ち住まっている神もいるが、別の場所に居を持つ神々もいる。誰がそうであるかなど明確ではないが、例えばヘーレー、ヘーパイストス、アプロディーテーなどはオリュンポスに住み、ハーデースやテティスなどはそれぞれ自分の居住場所を持つ。

536:ゼウスとテティスが密談していたのに、ヘーレーは目ざとく気づく。諸神が敬うゼウスに向かい、妻のヘーレーはそのことを開口一番咎め立てる。彼女は特に味方をしているアカイア軍のためにも、このように夫の動向に常に目を光らせている。何しろ、最大の力を持つ女神である自分の思い通りにならないのは、この世でゼウスだけなのだから。そういう意味ではゼウスにとっても、一番の障害は妻ヘーレーであろう。

545:545行mutous複数に対し、547行hon単数、548行ton単数、549行hon単数、550行tauta複数と、同じことを指す代名詞が複数になったり単数になったりしているが、545行mutousは、547行hon(聞いていい話)と、549行hon(聞いてはいけない話)に別れる。二つのものを統合してmutous、tautaと言っている。

555:ヘーレーがゼウスを監視する理由が挙げられている。彼女はひいきしているアカイア軍の敗北を一番に危惧している。イーリアス上で、ヘーレーは全てアカイア軍の勝利を目的として行動している。

562:ヘーレーに向かい、ゼウスはその不遜な態度を戒める。567行のゼウスが持つaaptous cheiras(抵抗できない力で)とは、8書17行以降に詳しい記述あり。ヘーレーが555~559行で述べた事柄について、ゼウスはこの場で認めはしなかったが、15書75行などでヘーレーに対し明らかにしている。

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1・488~530 テティスの請願

490:反復過去powleomai「(習慣的に)行く」などの動詞を使うことにより、アキレウスが会議や戦場に行かない日々が、アガメムノーンと口論した日より続いていることを表している。ゼウスがオリュンポスに戻ってくる日が次の段落でやって来る。

498:テティスがオリュンポスの頂にやって来た時、ゼウスは他の神々から離れたところに一人でいた。これは都合よくテティスが目的を遂げるというストーリー運びのための設定であるとともに、Kirk(Cambridge Univ)の注釈ではゼウスの座っていたオリュンポスの頂は彼の聖域であり、他の神々と一線を画して優位を示しているという。

500:テティスはゼウスの前にひざまずき、左手で膝を掴み、右手で顎を掴んだ。これは懇願者のポーズである。

514:頷きによる返答の仕方にも決まりがある。承諾・肯定は下方へのうなづき、また、否定は上方への頷きによって示す。(現代のギリシアでも通じるとか?) neuow頭を俯ける=kataneuow(下に)うなずく(請け負う)、≠ananeuow首を後ろにする(拒絶・拒否する)

515:返答を渋り無言となってしまったゼウスに、テティスは自分を蔑んでいるのかどうかはっきり答えるよう迫る。テティスとしても愛する息子の名誉がかかっているのだから懸命である。ゼウスとしてはテティスの望みを退けるつもりはないが、それがアカイア軍に肩入れしている妻ヘーレーの怒りをかうものであることが悩みなのだ。恐れるものの何もないはずのゼウスが、妻にだけは手こずっているらしいところが、人間くさいギリシアの神の親しみを覚える面である。今でもギリシアでは恐妻家が多いと聞く。

526:所有形容詞一人称中性単数対格hemon「私のもの」を受けるべき名詞が無い。代名詞のような用法で詳しくは次行のho ti以下で説明される(Thomas D. Seymourの注釈参照)。単にtekmowr「証拠」を意味するのではなく、もっと抽象的に約束を「私のもの」と言っている。

528:ゼウスがテティスに約束の証として頷いてみせると、オリュンポス山が大きく揺すぶられた。黒い眉毛は黒雲のイメージ、髪がサラサラと流れるのは稲妻のイメージ。ゼウスが雷雲の神であることを示す表現である。

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1・431~487 クリューセーイスの返還

450:447行以降、神への犠牲を捧げる儀式の次第が詳細に記述されているが、クリューセースが祈る際に手を上げる(cheiras anaschown)のは、351行のアキレウスがテティスのいる海に向かって手を差し伸べるのと同様、祈りを捧げるアポローン神が居る方向、つまりは天に向かって手を上げているわけである。

461:「二重の脂身でもって腿肉を挟み、それ自体の上に生肉を置いた」とは、脂身で包んだ物が何であるか判るように、腿肉の肉片を載せている。

464:467行で一同は食事をするが、その前にこの行で儀式として一口ずつ全員で臓物を口にした。

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1・352~430 アキレウスの訴え

352:女神から生まれたがアキレウスは寿命のある「人間」である。けれども女神から生まれた以上、ただの人間ではない。人間のうちでは抜きん出た体力を授かったアキレウスをはじめとする半神たちは、人間の社会においては優に名誉を得る立場にある。ましてやアキレウスは9書410行に語られる如く、この戦争に参加すれば、討ち死の運命と引き換えに不滅の名誉を授かることになっている。

355:アキレウスはブリーセーイスが連れて行かれた直後、涙を流してはいるものの、ここで語られるその理由は恥を受けたことに対する怒りが中心である。彼の怒りの原因としてイーリアス内では「ブリーセーイスの故に」と繰り返し歌われるが、彼女が「奪われた」とは「侮辱を受けた」という意味である。アキレウスがブリーセーイスに固執したのは自分の対面のためで、真に大切に思っている親友パトロクロスの存在と彼女とは比べようもない。ブリーセーイスはアキレウスにとってどんな上等な価値であっても、褒美の身分を出ることはできなかった。

359:テティス神は海から靄の如くに現れた。神が地上に現れるとき、人間の誰かの姿や7書58行目のように鳥など、何某かの形をとることが多い。第1書194行目ではアテーナーはアキレウスにだけ姿を見せ、周囲の人々には気づかせなかった。神々はその実体を滅多に人に示さない。

393:アテーナーにより償いとして三倍もの褒美を約束された(213行)アキレウスだったが、彼の望みはあくまでアガメムノーンに自分にした仕打ちを後悔させることにある。それで彼は思い通りの状況を作り出すべく、ゼウスの力を借りるよう母テティス神に依頼する。テティスがそれを為せるだけのどんな貸しがあるかの説明文が挟まるため、具体的な依頼内容は408行以降になる。テティス神は他にヘーパイストスにも貸しがあり(18書394行参照)、これらのコネを息子のために大いに使う。

402:百腕の巨人(ヘカトンケイル)は、海の岸を噛む浪の擬人化(呉茂一訳注釈参照)といわれるところから、同じ海の一族であるテティスが使役した。神と人間とで彼の呼び名が違っているが、神と人間は必ずしも同じ言葉を話すものではないらしい。Kirk(Cambridge Univ)の注釈では、イーリアス内で他に2書813行、14書290行、20書74行に、神と人間とのそれぞれの呼び名が違う記載のあることを紹介している。

404:この行にあるaute(今度は反対に)に関して、アイガイオーンの父であるポセイドーンが、399行でゼウスを縛り上げて負かしたが、”今度は”その父をアイガイオーンが力で凌いでいると、そのような意味で使われていると各注釈にある(LeafAllen Rogers BennerThomas D. Seymourの注釈参照)。ヘシオドスによればヘカトンケイルの父はウーラノスであるとなっているが、それは別人のことらしい。

408:アキレウスが望む状況とは、「アカイア人らが敗走し殺されていき報いを受け、アガメムノーンが自分の愚かさに気づくように」であるが、全ては自分の名誉を回復するため、多くの人々が報いを受ける必要があると考えている。何とも非情な手段だが言い換えれば、自分の戦力はそれだけの被害を防ぐものであると人々に認めさせたいわけなのだろう。

416:アキレウスが短命である話がここに出た。彼の運命に関する詳細は9書410行にある。

423:オーケアノスといえばこの時代の世界観からすると、世界全体を取り巻く巨大な川(或いは大洋)で、そこが世界の果てである。そこにアイティオプス人の国があると考えられていた。エチオピアのこと。ゼウス他、神々が出掛けるくらいだから、敬虔な民族であろう。

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1・318~351 二人の従者、アキレウスの所へ

318:もう争わないと態度を表明したアキレウスに対して、アガメムノーンは184行目で言った脅しを実行に移すべく二人の従者を差し向ける。多くの人前で言い放ってしまったことだけに、ここまでくるとアキレウスの鼻っ柱を徹底的につぶし、自分の威厳を保つことしか考えていないのだろう。これが人間の判断力を失わせるアーテー(迷妄)の恐ろしさだ。(19書88行以降参照)

327:二人の部下たちは不本意ながらもアガメムノーンの命令により、アキレウスの陣屋へと向かう。aekonte(不本意ながら)であったのは何故か。331行目で彼らはアキレウスを前に声もかけられず、ただアガメムノーン王を畏れて佇んでいたところから、別段アキレウスの怒りを恐れていたわけではないようだ。二人は主人アガメムノーンを尊敬しつつも、アキレウスに同情を寄せていた。「thina alos atrugetoio(荒涼とした海の渚)」という風景の描写は、そこを行く彼らの心境を、そして同時にその同じ渚に座り込んでいるアキレウスの心境にも繋がる。

333:渚に腰を下ろしていたアキレウス。さぞかし憤怒に身を震わせていたところだったろうが、やって来た二人は自分に対し、初めて同情の素振りを見せた人物だった。彼らの自分への同情と、不本意な命に従わねばならない立場であるのを察して、彼らに対し哀れみをもよおす。権力者の横暴は許せなくとも、弱者に対しては優しい気持ちで接するアキレウスの人柄が顕れている、と良く解したいものだが、普通、自分の心中を理解してくれた人間を憎めはしないだろう。さらにアキレウスは、この二人を自分の味方につけようとするかのような口ぶりで話しかける。

338:二人の使者にアキレウスは証人になってくれと言う。アキレウスは自分の正しさを確信している。いかにも彼はアガメムノーンと違って先のことを見通したような言葉を話す。だが非常に論理的なことを喋ってはいても、実は決して気が静まったわけではない。証人にもなって欲しい二人の前であるがゆえ、かなり感情を抑えていたのは、352行以降の涙の訴えの通りである。

347:二人の使者が去る方向、「para neeas Achaioun(アカイア人らの船々の方へ)」という言い方が気になる。彼らがアキレウスに出会ったのは、ミュルミドーンの陣屋の脇であり、船も置いてある場所である。軍で一番の勇者アキレウスと、二番目の大アイアースが、アカイア軍を守るように両翼端に陣取っていたと8書225行にあるので、中央に位置する総帥アガメムノーンの陣屋からアキレウスの陣屋は一番遠かったろうが、この場所もアカイア軍の一部であった筈だ。しかし先刻、アキレウスはアガメムノーンの指揮下から離れることを宣言した。彼の陣屋付近は今やアカイア軍ではないと言わんばかりの言い回しだ。
前置詞 paraは「~に沿って」という意味もあるので、「浜辺に並べて置かれるアカイアの船々に沿って、二人は戻って行った」と解釈した方が、素直かも知れない。

348:アキレウスの元から連れ出されるブリーセーイスのこの場の胸中は、aekous(心ならずも)という一語でしか語られない。アキレウスとブリーセーイスは、このイーリアスで一度も面と向かって語り合う場面がない。アキレウスにとって一番大切な人物をパトロクロスたった一人に集約するそのために、ブリーセーイスとの直接的な接触が避けられている。これによりパトロクロスを失うアキレウスの悲しみは、ブリーセーイスを失うこの時よりも烈しいものに理解される。

351:アキレウスは母であるテティス神に祈る。彼らは母子であって一方、死すべき人間と不死なる神との間柄である。アポローンの神官クリューセースが己の苦悩をアポローン神に訴えたように、まさにそのようにアキレウスが一番身近な母神テティスに祈るのは、至極当たり前のことである。違いと言えば、通常その願いを聞き届けるか否かは、願い出た人間のその神へのこれまでの貢献度によるものであるが、アキレウスは勿論、母親であるテティス神には無条件で受諾されるだろう。また神に祈る時は、神の居る方向に手をさしのべて祈る。アキレウスはテティスへ祈るので、海原に手を差し伸べた。

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1・304~317 クリューセーイス返還隊の出発

307:集まりは解散し、アキレウスは自分の陣屋に戻るが、その際、自分の部下たちとパトロクロスを連れて戻った。会議では杓杖をもつ者しか発言権は無いものの、パトロクロスや、全員ではないだろうがミュルミドーンたちもその場に出席していた。集会場は葬礼競技ができるほどの面積を持つ広場で、今の会議もどうかすると数百人の兵士たちの見守る中で開かれたらしい。これでは侮辱を受けるのも公衆の面前同然だ。アガメムノーンもアキレウスも必死になるはずである。

308:クリューセーイス返還の一団が編成される。帆柱を持つ船に乗ったのは当のクリューセーイス、指揮官のオデュッセウス、二十人の漕ぎ手、そして犠牲の牛たち。これらからして、遠征時に乗ってきた大型の船とは違い、櫂を二十本備えた船足の速い軽走船(東京書籍出版「ギリシア軍の歴史」参考)と思われる。ヘカトンベー(百牛の大贄)はもはや正式な儀式の称としてのもので、本当に百頭用意したわけではないかもしれない。

317:神は天上にいる。神に犠牲を捧げる時は肉を焼き、その煙と香りが空に向かって立ち上らせることで神に届くとされた。焼き残った肉は人間たちで食べる。

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1・247~303 幕僚会議(9)雄弁なる老王ネストール

247:第一書からネストールを軍中の仲裁役・相談役として印象付ける箇所である。彼は紹介のとおり誰より年嵩が上であり、饒舌である。彼の得意とする説得力は「イーリアス」のストーリーの転換部分で非常に重要な役割を担う。

250:行頭のtowi(指示代名詞男性単数与格)は、「彼の目(立場)から見れば」のような判断者・観察者の与格と解する。

251:trafen「育って」、gignomai「生まれた」とは順番が逆のように感じるが、レトリックの一つで後のものが先に来る”プロテロン ヒュステロン”である。また、「一世代目が育って二世代目が生まれた」という考え方もあるらしい。

254「大きな憂いがアカイアの地へとやって来た」とネストールは言った。ここはトロイア国であるが、アカイア軍が陣取ったところはアカイアであるという認識のようだ。訂正します。これは「アカイアの地」という言い方で、アキレウスとアガメムノーンの諍い=アカイア国の内紛と捉えており、大変なことになった、と言っているわけである。

257:動詞puthoiato「~を聞く」は、属格のsfowinとmarnamenoiinをとって「あなた方両人が争うのを聞いたら」とするが、直接目的語としてtade panta「これら全てのことを」もとる。聞いた相手・人を属格で表し、聞いた内容・事柄を対格で表す。

271:oxfordのテキストだと、否定辞ouがどこにかかるのか読みにくい。272行のmacheoitoにかけるしか読みようが無い。Willcockのテキストでは272行の一語目townの直後と、epicthonioiの直後にそれぞれカンマが振ってあり、あらかじめmacheoitoが関係代名詞hoi以下の文と切り離されてあり、そのように読むのが容易になっている。(pharrのテキストも同様)

275:ここでネストールによって述べられた、アキレウス、アガメムノーン両人の役割と評価というものが、一番明確で実質的あろう。アカイア軍にとって両人とも不可欠な存在のため、ネストールの勧めどおり争いを避けるのが賢明であった。このように物語内では度々、最悪の事態を回避する策が提示されるにも拘らず、それは避けられないものであるかのように無視される。歯がゆくも思うが、それがまさにドラマを生む。今に至る基本的なフィクション小説の手法が既にここにある。

292:アキレウスはアガメムノーンの話を遮って発言する。291行までのアガメムノーンの言葉がアキレウスへの中傷に終始しているのに対し、アキレウスは今後の自らの態度を明らかにした。

298:アテーナーの忠告もあるので、誰とも争わないことをアキレウスは明らかにするが、それはブリーセーイスに関してだけで、その他の品について侵害する者は容赦しないと言いわたす。ブリーセーイスを奪われる以外の、これ以上の侮辱は阻止する構えである。

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1・223~246 幕僚会議(8)負けじと悪口雑言

225:アキレウスは剣を抜くのを止めた代わりに、アガメムノーンに対し悪口を並べ立てる。それらがただの根も葉もない中傷か、いくらかでも事実を含んでいるものか、以前の彼らの戦いぶりは不明なので何とも言えないが、アキレウスの活躍によりこれまではアカイア軍の陣から遠く離れたイーリオスの城壁近くでいつも戦っていたらしいので、もしかしてアガメムノーンも以前は少しサボり気味だったのかもしれない。だからといってアガメムノーンが臆病であるとは思えない。イーリアス中でも彼が勇猛さを見せて敵将を何人も討ち取る箇所がある。アキレウスの言葉は、怒りのため多分に悪意ある暴言である可能性が強い。

228:thumowi(心で)は、tetlekas(敢えて~する)という感情が発生する体内の場所を示している。この頃のギリシア人は、感極まると熱くなったり、悲しむと痛くなったりする胸の奥にあるthumos(心)を、心臓を取り巻く臓器と考えている。

231:アキレウスはアガメムノーンを「がつがつした下品な家畜のような王よ」と呼び、それは「役に立たない者たちを支配しているせいだ」と言った。愚民たちがこれまで王にこんな横暴な行為を成功させ、助長してきたという。(Kirk(Cambridge Univ)の注釈による)

233:アキレウスは手にしたskeptron(笏杖)に誓う。skeptron(笏杖)の役割は、神に王位を定められた者の徴であり、これを携えて発言する者に掟を守る役目を課す。アキレウスは何を誓ったのか。笏杖とするために切り株から切り出した話などが挟まってわかりづらいが、要するに「切り株から切り離された笏杖は二度と葉を生やさないだろう、それとと同じくらい、いずれアカイア軍が自分の働きを認めて欲し、アガメムノーンの後悔する日が来るのが必然であろう」と、誓いというか予言に近いものである。

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1・188~222 幕僚会議(7)女神アテーナー出現

188:やはり高い地位権力を振りかざすアガメムノーン相手では、抵抗するにも限界があった。このような場合、人は従うか逆らうかという究極の選択に迫られる。特にアキレウスはアカイア軍中でもかなり若い年齢であり、怒りを抑えがたかったであろう。その激しい憤りのうちで思い悩むさまが克明に描かれている。人々を扇動してアガメムノーンを殺してしまうかどうかと悩むのは性急な気もするが、これほどの権力者に歯向かう場合、中途半端なことでは済まされないのであろう。それにしても「人々を扇動する」とは自分ひとりが非難を浴びないようにとの考えからか、それともこの場で自分に賛同する人間がいるかどうか確かめたかったのか。
anasteeseienを「扇動する」と読み違えてましたので訂正します。「(人々を)立たせようとする」であり、アキレウスはその場の人たちを立たせて追い払い、一人、アガメムノーンに襲いかかろうと考えたのでした。

193:どうするか考え悩んでいるその間中、剣を鞘から抜きかけている。動詞elketo(抜く)が未完了過去である。詩人は、アキレウスの心の葛藤を巧みに動作で表現してみせた。彼の心がアガメムノーンに歯向かう方向に動いているわけではないと思われる。

195:アキレウスの衝動を止めるため、ヘーレーの使いでアテーナーがやって来た。この二人の女神はかなり仲が良いらしく、同じ意向をもち、ヘーレーが求めるとアテーナーは異存なく即座にそれを実行する。おそらくイーリアスよりは後世の作であろうパリスの審判で、勝者のアプロディーテーがけしかけてこの戦争となり、それを恨んだ二神がアカイア軍に加担しているという筋書きは、これにつじつまが合う。

197:アテーナーはアキレウスのすぐ後ろに出現し、彼の髪を掴んで注意を惹いた。アカイア人は「髪を長く垂らした」という形容詞もあるので長髪であったろうが、23書141行にあるように、アキレウスは無事帰郷の願をかけて長く伸ばしていた。

200:アテーナーは恐ろしげに光る瞳を持っている。頭を使う戦略の女神である彼女を象徴するのがフクロウであり、そこからもフクロウが知恵の神と同一視されるようになったといわれている。この恐ろしく光る瞳の出現はアキレウスに大きな驚きを与え、彼の毒気を抜いて、易々と彼を懐柔させた。

201:pteroenta(翼のある)はepea(言葉)の形容詞として、随所に使われる。言葉は口から発せられ、耳に届く。目には見えないが、言葉によって人は人と心を通じ合わせ、人を動かすからなんだそうだ。そんな言葉にギリシア人は不思議な力を感じる。

204:この行で語られた「アガメムノーンはその傲慢により近々命を落とすだろう」というアキレウスの言葉は、仮定法の形をとった警告であると注釈にあった。

213「三倍もの多くの立派な贈り物が寄越されるであろう」。実際19書で送られた品々がブリーセーイスの三倍の価値であったかは不明だが、倍ではなく三倍であるところに<とても沢山>だという価値観があるようだ。今後も「3」という数字に注目しよう。

220:oude apithese(応じないことは無く)、つまり素直に応じたということである。アキレウスは女神アテーナーの言葉に従い、抜きかけた剣を鞘に収めた。

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